ひとりの時間、何していますか? ~銭湯編~

「学生の頃、風呂無しの部屋を借りていた時は銭湯に行くのが日課だった」と友人から聞いた時、幼少時のお風呂屋さんでの体験を思い出しました。祖父の家付近でお祭りがあると、その帰りには必ず連れて行ってた銭湯。私が住んでいた地元には銭湯がなく、非日常だった銭湯が楽しみだったことを大人になって思い出しました。子供の目線では特に何も感じなかったけれど、大人になってひとりで銭湯の浴槽に浸かりながら見上げる富士の絵、リラックスしながらのたわいもない会話、風呂上がりにレトロば体重計に乗る楽しみ、不思議と美味しく感じる瓶のコーヒー牛乳など、色々な要素で疲れた心を癒してくれる空間。期待を裏切らない体験要素と人間味が感じられる独特の魅力。

日本独自の文化である銭湯は”ひとりの時間”を満たすに足りる場なのかもしれません。

“ひとりの時間を作る”と、いうこと

日々、目の前の仕事・家事に追われているとメンタル的に”ひとり”になりたいと思っても、そうそう現実がそうさせてくれませんよね。自分と向き合い自分にとって充実できる時間を作ることは、世知辛い世の中で大切にしていきたいものです。SNSで常にどこにいても繋がりっぱなしの毎日の中で、身も心も”ひとり”になる。そのための ひとり旅、ショッピング、映画鑑賞、ものづくりなど方法・手段は無数にある一方で、メンタル的に”ひとりになる”ためにどうするといいのか?はちゃんと考えることはあまりないのかもしれません。

お風呂文化における地位財と非地位財

“ひとりの時間”を過ごすために必要な考え方として、経済学にはこんな考え方があります。

  • 地位財:周囲との比較により満足を得ること(所得、社会的地位、物的財=個人の進化・生存競争のために重要)
  • 非地位財:他人との相対比較とは関係なく満足を得られるもの(健康、自主性、自由=個人の安心・安全な生活のために重要)

この経済学の考えをもとにすると休日の過ごし方における”ひとりの時間”は、他人との比較の中で満足を得るという地位財ではなく、相対比較に該当しない非地位財に該当するものになります。じゃあ、具体的にはどんなことが非地位財になるのか?ズバリ!筆者は銭湯文化こそが日々、忙殺される日々の中でメンタル的かつ手軽に”ひとりになる”ことに繋がるのじゃないかなと思っています。

家にもある風呂でなく、何でそんなに銭湯がいいのか?

よく友人に「何でそんなに銭湯がいいの?家にも風呂はあるよね?」と言われることがあります。確かに巷には銭湯やスーパー銭湯など、ニーズに合わせて選択できる銭湯が多いのが現状です。

いわゆる”銭湯”は戦後、国民の生活衛生を保つために誕生しました。一方で、生活に馴染みやすい”銭湯”という立ち位置も自家風呂普及率がほぼ100%に近くなった現在、年間の廃業も増え「銭湯といえば足立」と言われるほどの銭湯の町でさえも30軒弱まで減ってきています。「家のお風呂で十分、銭湯なんて行かなくていい」というのは確かに正論なのですが、減りつつある日本文化の”銭湯”も誰もがみんな衛生面のために銭湯に行くわけじゃない現在、”ひとりの時間”を求めてしまう魅力が詰まった場所としての存在価値があるからこそ、行きたくなる場所となっているんじゃないかなぁと感じています。

“ひとりの時間”の満足から得られるもの

一般的に人が”「日常の休日」に求めるもの(要素)”は何でしょうか?例えば、下記のようなことがあります。

  1. 真新しい体験よりも”変わらないルーティンの休日時間”の中でのホッと安心できる時間
  2. 意外に良かったと思えるような気づきや気分転換
  3.  忙殺されがちな平日のメンテナンスとしてのんびりリラックス

これらは明確に達成したい意識が低いもの(目的意識が低いもの)ですが、そういう場合、ズバリ銭湯が全てに当てはまるんですよね。入浴中は、スマホでSNSを見て誰かの休日の過ごし方を意識する必要もなければ、仕事のことを考える必要もない、もちろん「休日は銭湯!」と決めて目的意識を高く持って来る人もいますが、上記のようにルーティンとして組み込んでしまうこと、気分転換、メンテナンス・リラックスの面で、非地位財として機能していくことによって、ワンコイン以下で”ひとりの時間”を過ごすことができます。

足立区にある”おきもと湯”で過ごす”ひとりの時間”

“銭湯といえば足立”と呼ばれるほど、誰もが知る23区の銭湯街 足立。今回、出向いたのは”おきもと湯”。西日暮里から舎人ライナーに沿ってドンドン下り江北駅で下車後、交差点を右折して平成扇病院裏の都営住宅辺りまで行く左手に煙突が見えてきます。江北駅からここまで約10分。煙突をたよりに進むと分かりやすいですね。

圧巻の天井高と常にピッカピカな銭湯

1967(昭和42)年に開業した”おきもと湯”。昔ながらの銭湯の建物ですが、内装は非常にキレイに改修されています。昔ながらの番台スタイルで脱衣場も広く入浴料は大人460円、小学生180円、未就学児80円。脱衣場は木の床、ベンチ、そして昔懐かしいHokutoの青いレトロ体重計とマッサージ機が場に馴染むように置かれています。初めて来た人はまずこの体重計とマッサージ機を見て「帰りに必ず使ってみよう!」と思うポところ。もちろん、湯上りの牛乳瓶も冷えてます。また、浴場と反対側のガラス戸の向こうは小庭になっていて、湯上りに涼むには最適ポイント。風情よく作られています。

歴史を残しつつ、どこを見てもピッカピカな内装。そして何よりも天井が高いのが”おきもと湯”の特徴で、その開放感は脱衣場だけでなく浴場も同様。天井高より湯気が上がっていくことで、空気が充満しにくく、いわゆるム〜ンとせず息苦しくならない。蒸気がこもらない工夫がさりげなく施されています。浴室は、立ちシャワーとジェットバス・リラックスバス・ジェットヘルスバスの3つでサウナはありません。

“ひとりの時間”を満喫する中で、体を清潔に保つだけでなく、人と人とのふれあい、人情も含めて発達してきた日本の入浴文化を感じながら浴槽でリラックスしてみるのも満喫できる休日の過ごし方なのかもしれませんね。

銭湯絵師・丸山清人さん による夏空

浴室に描かれている絵は銭湯絵師・丸山清人さんが描いたもの。脱衣場から浴室に入った時につい「ハロ〜!」と言いたくなるような気分になる雄大な富士。安定感のある絵により浴槽に浸かって落ち着くことを意図して描かれています。

暑からず寒からず天気の良い日が銭湯日和

「お客様は暑い日に汗を流しに来たり、寒い日に温まりに来たりする方もいますが、小春日和の天気の良い日にフラッと散歩がてらに気持ちよく入りに来る人が多いんですよ」という店主の沖本さんは長年、色々なお客様とのコミュニケーションを図ってきました。”おきもと湯”の客層の7-8割は中高年の男性が多いのですが、必ずしも近所の人が多いわけではなく、少し離れた場所から来る人が多いところが特徴です。近所の知り合いが多い銭湯では”ひとりの時間”を過ごしにくいから?なのかもしれませんね。

「銭湯は子供のうちから入り慣れている人が大人になって常連になるやすい。銭湯の良さを子供の頃の体験として体が覚えているので、家にある風呂だけでは満たされない何かがあるのでは?」と沖本さんはこれからも”おきもと湯”の魅力を継続しお客様に愛される銭湯として続けていきたいと思っています。

“ひとりの時間”を休日のストーリーとして愉しむ

江戸時代の頃、銭湯は庶民の憩いの場として賑わっていました。銭湯に入れば年齢や肩書に関係なく、誰もが素の人になる。包み隠さず、互いの本音を言い合える関係、銭湯は本来そんな交流が生まれる場所だと思います。”おきもと湯”には地域に限定されることなく色々な方々が時間を過ごしに来ます。それは湯に浸かっている中で知らない人との会話から利害関係なくたわいもないことが話せたり、誰かと比べることもなく休日本来の要素を満喫できる場だからこそ。

番頭さんにお金を払ってから、湯に浸かり、温まった体と落ち着いた気持ちでリラックスする。そういった変わらない一連のストーリーには、きっと旅行先の温泉ではなくて、近場の銭湯だからこそ休日の”ひとりの時間”を充実することができるものが詰まっているのかもしれません。

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